Vol. 11

Natural Quest Interview  |  vol.11

林 サオダ

バッチホリスティック研究会理事 with BIEP Coordinator, BHK Trustee

自分らしく生き、「汝自身を癒せ」。

バッチフラワーレメディの日本での第一人者。「汝自身を癒せ」という哲学を生きる。

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文=阪本淳子  写真=見米康夫 

1930年代、英国の医師であり細菌学者であったエドワード・バッチ博士は、野の花や草木から作られたエッセンス(レメディ)を使って、心と感情のバランスを取り戻す植物療法を生み出した。バッチフラワーレメディの日本での第一人者であり、普及に力を尽くしてきた林サオダさんにお話しをうかがった。

Chapter 01

学者肌の父と和の世界の母の間で

実存主義にかぶれ、哲学科をめざすが挫折を味わう

「読書が大好きで、早熟な小学生でした」。父は、実業家として経営に携わっていたが、本来は芸術至上主義で西洋文化が好きな学者肌。一方、母は、船場の商家の孫娘として育った大衆的な人。そんな二人の間で、3人姉弟の長女の林は、父とクラシックを聴き、洋画を見て、母には時代劇映画や歌舞伎につれていってもらいと、異国と和の2つの文化を豊かに吸収して育った。

「腕に生まれつきの赤いアザがあるのです」。冬になるとアザは紫がかり、幼稚園で男の子と行進するときに手をつないでもらえなかったような記憶がある。「まわりからは快活に見えても、自分の中にどこか暗いものがあったように思います。三枚目で冗談をいって笑いをとろうとする自分とのギャップを常に抱えていました」。

「頭でっかちで、小生意気で変な女の子だったんでしょうね。実存主義にかぶれて、哲学科に入りたかったのだけれど、落ちてしまいました」

区立中学から才媛が集まる国立の高校に進んだが、「次第に落ちこぼれていった」と林はいう。好きなことには夢中になるが、それ以外は勉強しなかった。

Chapter 02

ニューエイジ、神秘主義との出会い

人智を超えたものを知ることで謙虚になる

好きだった英語を活かして通訳の勉強をし、仕事をはじめた林は、ビートニク、米国のニューエイジムーブメント、また、グルジェフ、ウスペンスキーの神秘主義思想にも触れていく。NY出身の米国人を通じて、20歳のころに、それ以降生涯影響を受けるスピリチュアルなエクササイズに出会う。

「内側から自然にわき起こる"素の自分"を認め、生きることはすべてつながっていると思えるようになりました」

「どこかこの世に着地していない自分でしたが、内側から自然にわき起こる"素の自分"を認め、生きることはすべてつながっていると思えるようになりました」。それまでの林は女性であることへの肯定感が薄く、物事が思うようにならず挫折も感じていたが、このエクササイズを通じて人智を超えたものを感じ謙虚になり、自分が女性であることを素直に受け入れるようになった。

Chapter 03

翻訳を通じてバッチフラワーレメディを知る

英国バッチセンターの門を叩き、受講生となる

1992年に『癌のセルフヒーリング』という本を翻訳する。イギリスのブリストル癌ヘルプセンターに勤務していた看護師の著書で、そこにバッチ博士のフラワーレメディが紹介されていた。

「翻訳しながら、これは一体なんだろう?と思いました。しかし、この著者とは、偶然にもスピリチュアルエクササイズでのつながりもあり、不思議な縁も感じました」

イギリスのバッチセンターでは、当時はまだ国外からの受講生は受け入れていなかったが、授業・試験・課題提出も全部英語で可能ならよいとなってコースを受講でき、修了後プラクティショナーとして国際登録した。

Chapter 04

時代に先駆けて「人の感情」に注目したバッチ療法

バッチフラワーが自分自身の内面との対話を促す

「バッチフラワーレメディ」とは、野の花や草木から作られたエッセンス(レメディ)を使って、心や感情のバランスを取り戻そうとする自然療法だ。バッチ博士は、一人一人の患者がそれぞれに異なった存在であり、機械的な一律の処方では対応できないことに気づいた。

試行錯誤の末に、澄んだ自然水を入れたガラスのボウルに花びらを浮かべ太陽の下に置き、花の持つ癒しのエネルギーを水に転写させる「太陽法」でレメディの種類を増やしていく。最終的に博士は38種のレメディを完成した。

Chapter 05

60カ国以上で使用されるバッチフラワーレメディ

科学的には未解明ながら認められるバッチの存在感

フラワーレメディは70年以上使い続けられ、現在では60ヶ国以上の国々で医師や看護師、獣医などに使用されている。医療先進国のキューバでは行政がバッチフラワーをとりいれている。

「バッチフラワーがなぜ効くのかを解明する鍵は、最先端の物理学の中にあるのかもしれません」

「バッチフラワーは医学ではないし、日本では薬ではなく健康食品として扱われます。しかも作られ方や有効性は、科学的にはいまだに解明されていないのです」。英国バッチセンターは、バッチ博士の「シンプルな方法を変えないで、そのまま伝えよ」という言葉を守り続けている。

Chapter 06

着実に増え続ける日本のバッチフラワー利用者

「たまねぎの皮をむくように」進む変容のプロセス

「今は、セルフヘルプとかセルフケアが非常に求められている時代。バッチフラワーは禁忌がないし、あまり知識がなくても使いやすいのではないでしょうか」。

「自分の感情を見つめる必要があるので、結果的にセルフケア、セルフカウンセリングになっている。自分で自らを癒すのです」

「バッチフラワーは、非常に穏やかな自然なもので飲む人に無理がない。それは、たまねぎの皮をむいていくように、無理なくその人のペースで進む変容の過程だ」。

Chapter 07

『よく生き、よく死ぬ』ということ

その人が自分らしくいることが何よりも大切

「その人が自分らしくいることが何より大切です。バッチフラワーレメディが絶対というつもりもない。それを使い、自分の道が見つかればよい。自己発見の旅が深まるのが、バッチフラワーレメディのよいところです」。

「だからこそ、自分らしく『よく生き、よく死ぬ』ことが大切だと思うのです」

「人間も大きな宇宙の一部であり、この世に生命をうけた魂が、自分がなんのために生きて行くのか、本当はどこか深いところで知っている」。林は娘のひとりを病のために失っている。「誰もが肉体に一度宿って死んでいくが、魂は死後も成長し続けると考えています」。

Chapter 08

野に咲く花と植物が与えてくれる幸福へのヒント

バッチ普及を支える「大いなる世界を見すえる、自由で謙虚な魂たち」

バッチフラワーレメディは、若い人がファッション感覚で楽しみながら選んでもよいし、精神科医が患者の心理状態にあわせて利用することもできる。日常の暮らしから医療現場まで、どんなケースでも対応できる。

「\"こうでなければならない\"と決めつけることなく、いろいろな人が無理なくバッチフラワーレメディとつながっていけるといい」

「今の日本にはいろいろな困難があるけれど、みんなが幸福に生きていけるように普及させたい。私自身も残りの人生を、自分そのものを生きたいと思っています」。バッチフラワー普及の陰には、「大いなる世界を見すえる、自由で謙虚な魂たち」の存在があった。

Profile

林サオダの出来上がり方

1946年
東京に生まれる
小学生時代
読書が大好きな小学生。3人姉弟の長女
中高生時代
お茶の水女子大学付属高校に入学。実存主義とカウンターカルチャーに傾倒
高校卒業後
日本通訳養成所を卒業。演劇集団「しまぞう」参加。同人誌に創作発表
20代・30代
翻訳・通訳等をしながら外国人とのネットワークができる。結婚・子育て・自主保育グループも結成
1992年
『がんのセルフヒーリング』を翻訳。バッチフラワー療法を知り、バッチ博士の哲学に惹かれる。医師の帯津良一氏と出会い、日本ホリスティック医学協会に入会
1994年
バッチフラワー友の会(ハーミア女史主宰)に参加
2003年
ハーミア女史よりバッチ国際教育プログラムの総括責任者を引き継ぐ
現在
日本ホリスティック医学協会常任理事、バッチ財団登録プラクティショナー
翻訳・監修:『バッチの花療法』メヒトヒルト・シェファー著、『バッチフラワーレメディ・ワークブック』ステファン・ポール著(フレグランスジャーナル社刊)他多数