Vol. 09

Natural Quest Interview  |  vol.09

中島デコ

マクロビオティック料理研究家

健康な食と暮らし、地方移住のこと。2011年、千葉県いすみ市のブラウンズフィールドで取材。

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文=小林正廣 写真=見米康夫

自然素材にこだわるマクロビオティックを手がける中島デコだが、意外なことに生まれも育ちも東京だ。千葉・ブラウンズフィールドで食と暮らしの原点を、飾らない言葉で語ってくれた。

Chapter 01

漫画「ちびまるこ」的な昭和の風景の中で

「素のまんまで、おおらか」な母のもと、のびのびと育つ

自然素材にこだわるマクロビオティックを手がける中島デコだが、意外なことに生まれも育ちも東京だ。「オリンピックの頃までは、世田谷も原っぱや雑木林がたくさんあって、毎日外遊びばかりしていましたよ」。暗くなるまで子どもで群れなして遊び倒し、お腹をすかせて家に帰り夕食と、「ちびまるこ」を地で行く毎日。

仕事一途な父親と、おおらかでいつも明るい母親のもと、4人姉妹の長女としてデコは育った。母親は「食べることが好きで、作るのも上手で手早い人」。「思い浮かべるといつもガハハと笑っているイメージしかない」

高校生の時、雑誌のグラビア写真に出た。「その頃はけっこうきれいだったの(笑)」。校則違反だと学校に母親と一緒に呼び出されたが、母親が「何でも判断はこの子に任せてあります。自分のことは自分で考えて、何でもやりますから安心しているんです」と答えたら、おとがめ無しに。窮屈に枠にはめられることもなく、のびのびと育てられたとデコは振り返る。

Chapter 02

16歳。玄米おはぎを食べて、衝撃をうける

ぬいぐるみショーの手伝いで、マクロビオティックに出会う

デコのマクロビオティックとの出会いは、16歳というから早い。高校卒業後、演劇に興味を持って江古田の学生劇団に入った。ある日、ぬいぐるみショーの手伝いに行くと、ぬいぐるみ役の演劇青年が休憩時間に玄米おはぎを分けてくれた。餡は「塩あんこ」だ。

「繊細だけどエネルギーを感じる。こんなにおいしいものがあるのかと、目からうろこ」

初めてのマクロの師匠はいった。「デコちゃん。玄米を食べると人生が変わるんだよ。"食を正せば思いが叶う"ってね」。高校生のデコには「うわ、まるで宗教だ」としか思えない話だったが、玄米の力強さは理屈ぬきの体感だった。

Chapter 03

24歳。プロポーズをきっかけにマクロビ宣言をする

「食を正せば思いは叶う」ことを出産で実感する

社会人になるとバレエ教室の先生をしながら劇団を続けた。「パフェの食べ歩きもしたし、後ではお酒、たばこも覚え、拒食、過食も経験した」。しかし、24歳で劇団の男性からプロポーズされたとき、「魚と肉料理はしないが、それでもよいか」と、デコはいきなりマクロビ宣言をする。

自然食品店の老舗『グルッペ』で働きながらマクロビを本格的に学び、結婚2年目に待望の妊娠をする。「普通に、自然に産みたい」という一心で理解のある助産婦を見つけ出し、無事に女の子を自然分娩で出産。

「5人の子どもを産み、『単独・自力出産』に何度も成功できたのは『食を正して思いを叶えた』ということだったと思う」

Chapter 04

結婚生活の終止符を機に、米国へ出発する

クシインスティテュートで感得した、自由奔放なマクロ

3人目を産んで育児に無我夢中の最中、結婚生活に終止符が打たれたとき「自分の人生で本当にやりたかったことは何だったのだろう」と自問自答した。浮かぶのは、何年も前から行きたかったクシインスティテュートのこと。米国でマクロビオティックのムーブメントを巻き起こした久司道夫氏の本拠地だ。

秘書の名は西邨マユミ。後に歌手マドンナのプライベートシェフとなり広く知られる人物だ。返事はすぐに来た。「アシスタントの枠がちょうど空いたので、来たらいい」。3人の幼い子どもを連れて来たデコを、西邨は快く受け入れてくれた。

Chapter 05

帰国。下北沢で料理教室『ワンダーマミー』をはじめる

みんなでアイデアを出して、レシピが豊かになっていく

帰国後、デコは下北沢で料理教室『ワンダーマミー』をはじめる。「玄米を知らない人たちに、穀物と野菜だけできれいでおいしくて、すごく満足できることを伝えたかった」

「子ども連れで、おっぱいをあげながら、家の中はぐちゃぐちゃだけど、気兼ねしないでわいわいと、みんなで料理するの。アイデアを出しあって、レシピができていく」

料理教室は評判を呼び、当初の月1回が週1回になり、千葉へ移住する直前には週3回のコース制になるまでファンを増やし続けていった。

Keyword クシインスティテュート——マクロビオティックの提唱者、久司道夫氏が1980年に設立。米国マサチューセッツ州・ベケットにあり、世界中から数多くの人々がクシマクロビオティックを学ぶために訪れる。

Chapter 06

自主保育活動で、対話と相互信頼の大切さを学ぶ

8年間の自主保育。「代々木公園に子どもを育ててもらった」

デコが熱心に取り組んだもうひとつの活動が、自主保育グループ『原宿おひさまの会』だ。「8年間も代々木公園に通い続けたから、どこにキノコが生えて、山菜が取れるのはどこかまですっかり頭に入っている」

「対話を続けていくうちに、必ずよい方向に行くと体験で学んだ。自分から開いていくと、いただくものも倍になっていく」

Chapter 07

自然な出産へのこだわり

健康な母体で元気な赤ちゃんなら、好きな時に出てきてくれる

3人目の出産で「私ががんばって『産む』わけじゃなくて、健康な母体で元気な赤ちゃんだったら、好きな時に勝手に出てくるだけだ」とデコは気づいたという。

4人目はバリ島での出産計画を実行。3人の子どもを連れてバンガローで出産。さらに5人目は興味のあった水中出産にチャレンジ。「かなり気持ちよく出産」。自然な安産を5回も体験できたのは、長年続けてきた玄米菜食のおかげだとデコは確信している。

Chapter 08

エバレット・ブラウンとの結婚と、第2の人生

東京でのライフスタイルに限界を感じる

写真家のエバレット・ブラウンと出合ったのは、友人のホームパーティーでのことだった。「彼は私を『子どものお母さん』ではなく、『一人の人間』として対等に話をしてくれた」。二人はすぐさま互いを深く理解しあい、結婚へとごく自然に進んだ。

「安心できる食材は高価で、それを買うために必要以上に無理をして働く。せめて、大根、小松菜くらいは自分たちで栽培して費用は種代だけ。そんな暮らしがしたいと思い始めていた」

Chapter 09

千葉へ移住。ブラウンズフィールドを拓く

竹やぶは田んぼに。納屋はカフェに生まれ変わった

現地にクルマが到着すると、思ったより平坦な土地が見通しよく、空が広い。「茂原といえば父親のお墓がある。お墓参りもしばらくしていなかったから、もう『呼ばれた!』という運命的なものを感じて、ここに移り住もうと決心した。観念したのね」

ある冬の日、焚き火をしていると火勢が大きくなり、やぶが焼けて跡形もなくなった。姿を現した田んぼを見て米作りをしようと一念発起すると不思議なことに応援者が次々と現れ、その年から古代米の収穫に成功した。

「日曜日になると"見学"に来られる方がぽつぽつ現れて。『もっとオープンな場にしたらいい!』と気づいて、納屋を改造してカフェにしたの」

Chapter 10

自然の流れに身を任せて安心していればいい

お母さんは太陽の存在だから、いつも笑って欲しい

「できる範囲で無理をしないで、長続きできることが大事。自然の流れに身を任せていれば、どこかに流れ着く、安心していればいい」というデコだが、やはり食事だけは譲れない。「米づくりからはじまって、最近では調味料の材料まで自分の畑で採れるようになった。どんどん地に足がついて、自分の自信になっていく」

「先を心配して怖がっていたら、今の瞬間がもったいない。おいしく食べる、仲間と過ごす、たくさん笑う。特にお母さんは太陽の存在だから、いつも笑っていて欲しい」

Profile

中島デコの出来上がり方

1958年
東京都世田谷区に生まれる
小学生時代
等々力の野原に遊ぶ日々。バレエも習った
高校時代
演劇に興味を持ち、劇団に入る。マクロビと出会う
短大・劇団
バレエ教室の講師をしながら演劇を続ける
24歳
劇団の男性からのプロポーズをうけ結婚する
25歳
助産婦さんの協力を得て産科医院で最初の子を出産
1991年
3人の子どもを連れて渡米。クシインスティテュートでアシスタント経験を積む
1992年
下北沢に料理教室『ワンダーマミー』を開く
1999年
夫のエバレット・ブラウン、子どもたちと共に千葉へ移住
2000年
千葉の農園をブラウンズフィールドと名づける
2006年
マクロビオティックカフェ『ライステラスカフェ』を開店
現在
ブラウンズフィールドの運営、国内外での講演会や料理教室で活躍中
参考図書

「生きているだけで、いいんじゃない」
文:中島デコ、写真:エバレット・ブラウン 近代映画社刊